Mrs.GREEN APPLE『ナハトムジーク』について思い巡らす

楽曲解釈

山田涼介さん、浜辺美波さん出演映画『サイレントラブ』の主題歌
Mrs.GREEN APPLE「ナハトムジーク」について個人的に思ったことを書いていこうと思う。

この記事は一部有料となっております。

ナハトムジークとは

ナハトムジークはドイツ語。
Nacht(夜)+ Musik(音楽)=夜の音楽。ひとつの小さな夜の音楽。

本当につらいとき、胸がギュッと痛く締め付けられる。
そうすると喉も詰まって、声も出ない。出せない。
叫びたいのに叫べない。
そんな感覚を思い出す。

夜の帷=大森元貴の時間

夜の帷=夜が更けていく様子。静かで暗く寂しさを感じる夜。

あ、大森元貴の時間だ。
皆もそう思ったことだろう。

この時間帯、特に彼は途轍もない寂しさに襲われる。

きっと日中とても華やかな場所にいるから。
夜の帷はよりいっそう色濃く翳るのだろう。

ミセスのフロントマンとして地に足付けて粛々と牽引していかなければいけない責任感を常に背負っているから。
日中の反動で等身大の大森元貴に戻った瞬間に襲われることがあるのだろう。

時にインスタライブでお互いの存在を感じながら寂しさを紛らわす。
苦しくて切ない夜もあるけれど、そんな夜から曲が生まれるのだ。

大森元貴がその夜を歌う。
夜を直接的に歌った曲は今まであっただろうか、と思い巡らす。

ソロでリリースした『Midnigt』。
あとは『Loneliness』だろうか。

これらとは全く違う表情を見せる夜の曲『ナハトムジーク』。

(他の人に)優しくいたいけど
(自分に)素直でも在りたい。

それは果たして両立するのだろうか。

どちらもうまくいかないときがある。
上手に生きたいのにね。
誰も傷つけずに。
でも傷つけちゃうし、傷ついちゃう。
僕らはヘタクソなりに生きているんだ。

以前Threadsで話してくれたこと。
これは『ナハトムジーク』制作時のことだったのだと思う。

「図太さ」と「自己肯定感」ってかなり区別化が難しいもの。
「自分勝手」と「幸福度」の違いって、誰か説明できるのだろうか。
悲しいかな、同じ題材を違う角度で割った言葉だと私は思うネン。ネンネンネン。

@motoki_ohmori_mga Threads

鈍さって、強さとして非常に満たされる上では必要だと思っていて。
満たされることは少なくても、
夜に自分が疎ましくなったり、
寂しくて苦しくなる感覚は 他者に優しくある上で絶対に大切だと、僕は信じているから、そういう人は愛おしい。
強い人って、なんだかんだ強いからな🤷🏻

@motoki_ohmori_mga Threads

 

分かっているけど、誰かに肯定されたい

自分の駄目さを痛感して、弱さを受け入れて、それでも生きていかなきゃならないのが人間。
それはわかってるけど、それでも胸が痛くて、
誰かに「駄目でもいいよ」「弱くてもいいよ」「生きてていいよ」って言ってほしい。
そんな風に思う夜ってある。
私にも本当にあった。

ここの低音ヴォイスが胸底からぐっと押し上げられるような感覚になる。
MVでは涼ちゃんが跪く姿に胸がギュッとなる。

抱きしめるのは何なのか。
夜なのか、貴方なのか、自分なのか。

大森元貴を思うと、これは自分自身なのではないかと思う。
毎晩自分のことを反芻している。

愛されたいのに、今日も愛されるような人間になれなかった。
もっと優しくいたいし、素直でも在りたいし、でもそうできなかった。
もっとできたはず。そうやっていつもこの夜の時間に自分を責める。
だけど、そんな今日をまず丸ごと愛したい。
十分よくやった。間違いは誰にだってあるよ、と。

そう思っても、どうしたってやっぱり襲ってくる。
自分を責める自分が。

nm…の音の取り方がまた共感した心を包み込む。

矛盾を「美」と表現する

極限までもう一人の自分に寄り添っていたい。
深堀りしてもう一人の自分と議論し合って、やがて暗闇の中に道筋が見えてくる。
でもその道を行くことを、この傷跡が疼いて拒むんだ。


この世を生きるためには理想と現実は矛盾しすぎている。
矛盾していると分かっていても、生きる上では必要だったり、それが正義だったりする。
それでも、矛盾を選び生き抜くことが美しいんだよ、と肯定される。
葛藤に暴れ出しそうな心が落ち着かされる。
束の間の凪。

メロディーでも矛盾感を高める。

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