Mrs.GREEN APPLE大森元貴の単独インタビューが掲載された2024年4月号雑誌『音楽と人』。
そろそろ読む人は行き渡っている頃だと思うので、それについて書いていこうと思う。
ファンを信頼して魅せてくれたThe White Lounge
まずは、FCツアー『The White Lounge』について。
甘えていなきゃできないですよ、こんな自由なこと。
だってどういうツアーなのか、事前に発表していないんですよ?
音楽と人 2024年4月号
それでもチケット買って来てくれて。まさかああいうステージだって思ってない人だっているだろうし、〈こんなの観に来たわけじゃない〉って帰りたくなる人もいると思うんだよね
とにかくファンのことを信頼してるからできるツアーだと思っています。
音楽と人 2024年4月号
FCツアーにした意味。
本当に信頼してくれて、一番に新しいミセスの一面を魅せてくれようとしたこと、嬉しいな。
どういう受け取られ方をされるかわからない内容だからこそ、それも覚悟の上で開催してくれたのだと思う。
最初の印象で「あ、今回のライブは思ってたのと違うな」と思われたとしても、その気持ちをも覆すくらいのミセスの気迫というものを実際このツアーを目の当たりにして感じた。
「あぁ、これがMrs.GREEN APPLEだ」って思ったのは初めてなんじゃないかな
〈Atlantis〉を経て人生が次のステージに行った感じがあって。
音楽と人 2024年4月号
あの2人もすごく頑張ってくれたし
〈Atlantis〉で初めて〈あ、3人だな〉って思った。
あそこまでステージに立ちながら〈あぁ、これがMrs.GREEN APPLEだ〉って思ったのは初めてなんじゃないかな
音楽と人 2024年4月号
この言葉に心打たれた。
もっくんが心からこう思えて、それをインタビューで答えてくれること。
ファンとしてとてもとても嬉しく思う。
〈NOAH no HAKOBUNE〉の特典ドキュメンタリーでも、ステージ上る前にひろぱと涼ちゃんに「ありがとね」って直接素直に言えたもっくん。
本当に今やっと一人じゃなくなったんだね。
どこかでずっと孤独で、ミセスを一人で背負っていたもっくんが、
活動休止を経て、紆余曲折を乗り越えて、初のドーム公演で「あぁ、これがMrs.GREEN APPLEだ」と思えた。
嬉しいね。
よかったね。
でもこれが「スタート」だと。
思い描いていたものの始まりだと。
大森元貴って人は。。
僕という人間を僕自身がやり過ごすために
誤解される言い方になるけど、僕にとって音楽は気晴らしなんですよ。
音楽と人 2024年4月号
気晴らしというか逃避。
例えばお酒を吞みに行って泥酔しちゃうとか何かにハマって抜け出せなくなるのって、
実際の自分からの逃避じゃないですか。
それと同じなんですよ、僕にとって音楽をエンタメにすることは。
僕という人間を僕自身がやり過ごすためにやってるというか。
だから楽しいものであってほしいし、それを自分自身も楽しめるものでありたい。
音楽と人 2024年4月号
で、ようやくそれがエンタメとして始まったのが今なんですよ。
そう。大森元貴から生まれる音楽の根源は、彼自身の「寂しさ」や「憂い」だ。
誰もが抱えているものだけれど、彼は誰よりもそのことについて深堀りして、それを音楽や表現に昇華する。
本当だったら他人に隠したくなるような感情を、敢えて音楽として表に出し、同じように生きづらさを感じている人の心を潤すのだ。
メロディーはポップであっても、彼の書く歌詞はとても胸に刺さって痛い時がある。
本当は苦しいのに、それを敢えてエンタメとして届けるためにポップに彩る。
そうできちゃうのが、大森元貴。
私が最近一番それを感じたのは『Magic』。
特に、この部分。
優しい人で居たいと痛いが止まんない
平気なフリをしていたい
寂しいなら足の先まで踊ろういいよ もっともっと良いように
大森元貴
いいよ もっと自由で良いよ
いいよ もっと思ってる以上に
いっそ楽しもう Magicで日々を
この歌詞、まさにもっくんのことだなと思って、胸が苦しくなる。
寂しさをエンタメとしてみんなのために届ける。
それはみんなのためだけではなくて、もちろん自分のためでもあるけれど、
全てエンタメとしてしまう寂しさも持ち合わせているから。
やっぱり大森元貴は人間だなと思う。
だからこの曲を初めて聴いたときに、手放しで喜べなくて、胸が痛くて痛くて泣きたくなった。
もちろんライブでも盛り上がる楽曲だし、実際、ライブではノリノリで「いーよ」ってしちゃうけど、
今でも歌詞を意識するともうどうしようもなく胸が痛くなる。
チームやメンバーの結束の口実に
私は、このお知らせを見たとき、すぐにスマホを伏せた。
そうでもしないと取り乱してしまうから。
ちょっと受け入れるのに時間が必要だったのだ。
意を決してもう一度しっかりと読む。
あぁ、貴方は頑張りすぎたんだよ。
あんなにもスケジュール詰め込んで、四六時中ミセスと楽曲と向き合って、どう魅せるか、構成は?セトリは?アレンジは?アルバム?新曲?バラエティ番組も?
休む暇なんてなかったよね。
お正月のちょこっとだけだったよね。
どこかに不調が出るとは思っていたけれど、よりにもよって耳に出てしまうなんて、音楽をする人にとっては辛いだろうなって心が痛かった。
でも、CDTVのナハトムジークの打ち合わせとか、ジャムランドとか
突発性難聴を発症した直後のもっくんを見て思ったんだ。
なんだか病気になる前より穏やかな表情をしている気がする、と。
肩の力が抜けている感じがした。
まだこれからもFCツアー(しかもコンセプトツアーだし)が続くというのに、なんだかとても落ち着いていて、ホッとしている雰囲気さえ感じた。
そして、この『音楽と人』のインタビューでこう語っていたことでそれが裏付けされてしまった。
こうなっちゃうのが妥当だなって思ってる。
だって去年あれだけ頑張ったんだもん。
音楽と人 2024年4月号
むしろ当然というか、どっかにガタ来てくれないと困る、みたいな(笑)
こうなることはある程度予測していて、むしろこうなったことで自分の頑張りを自分で認められたのかなって思った。
もっくんは、自分に厳しくて、とことん追い込んじゃう人だから。
たぶん本当に昨年の結成10周年は全力でやりきろうと決めていたのだと思う。
自分に優しくできないんだよね。
他人には愛のある鞭を。
自分には鞭に鞭を。
でも歌っていることは、とても自分に正直で、愛されたくて、自分を愛したくて。
JAM’Sとしてはそんなに頑張らないで。
そんない追い込まないで。
休んでいいよ。
待ってられるよ。
って思うのに。
それにこの言葉、
このことをチームとかメンバーとの結束の口実に使ってほしいっていうことまで言いました
音楽と人 2024年4月号
非常にもっくんらしいなと思う。
自分がミセスにとってどういうポジションで、
自分がこうなったことでメンバーやスタッフがどんな影響を与えて、どんな心境になるか、
それも踏まえたうえで、この件を活力としてほしいと。
ミセスに活かしてほしい、という。
誰よりも一番ショックなのはもっくん自身なのにそんなことまでも考える。
個の大森元貴よりも、ミセスのプロデューサーとして、ミセスが良くなることを一番に考える。
あなたって人は。。
反芻する毎日
とにかく自分を毎日反芻してるんですよ。
音楽と人 2024年4月号
偉ぶってないか、この言葉で合ってるのか、そういうのを1日の最後に振り返って。
この人はずっとこうなんだろうな。
フェーズ1で、イキったり、おどけていたりした時も、
夜になるとありのままの自分と対峙する。
やりすぎたなとか、もっとこうすればメンバーが輝くかなとか。
毎日毎日考えて、その毎日積み上げてきたものが今ここに繋がってる。
自分の失敗って消したいのが人間の心理。
目を背けたい。忘れたい。
でも結局できない。
きっとその過程はもうずっと前に経ていて、だからこそちゃんと我が身を振り返る。
人として、毎晩それをすることって結構辛くて、苦しくて、逃げたくなることだけど、うん、確かに成長するうえでとても大事なんだよね。
若い頃からずっとそれをしっかり今までやってきた。
だから、彼の生み出す音楽はこんなにたくさんの人に愛されているし、
彼自身、メンバーにも周りのスタッフにもファンにもこんなにも愛されている。
彼の考え、彼の核に触れるたびに感嘆に似たため息が出る。
でも、それはまだ彼が見せてくれている一部でしかない。
彼が見せてくれる部分が受け手にとってのすべてだから、その部分だけでもしっかりと向き合って、慈しみたいと思う。
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