大森元貴ソロシングル『French』の3曲目に収録されている『わたしの音』。
『French』がリリースされたのが2021年2月24日。
『わたしの音』はその10年前、大森元貴14歳の時に制作された楽曲である。
私はこの曲を初めて聴いたとき、胸がギュッと痛くなりながらも、落ち着く音色だなと思った。
なんというか、大森元貴の日記を見せてもらっているような感覚になった。
14歳のもっくんの心の音。
多感な時期で、甘味を欲しているのに現実の苦味に身を焦がしている。
愛、虚無、期待、失望。
当時の混沌とした気持ちをこの短い歌詞に曝け出している。
大森元貴の寂しさの泉は深い。
底知れず、どこまでも暗闇で、誰もその正体を掴めない。
ポップでキャッチ―な楽曲も、必ず彼のその一部が描かれる。
彼の寂しさに触れる度、思うことがある。願うことがある。
本当の彼を見つめて愛して
寂しさを音楽で昇華する大森元貴。
多くの人々の心を潤すミセスの音楽の根源は、彼の寂しさから来るものだ。
彼はいつも寂しさを抱えている。
愛されたい。
愛する人に心から愛されたい。
そう願っている。
ついにミセスは国民的アーティストの地位に昇りつめようとしている。
地位と名誉を得ることになる。
彼がずっと観たかったワクワクする景色がこれからも観られるだろう。
ただ、寂しかった想いは埋められるのだろうか。
彼の心はあの頃のままピュアで傷つきやすくて、寂しくて誰かに愛されたい。
でも今、沢山のものを手にした彼には、多くの富と多くの賛美の声が取り巻いている。
もちろん多くの人に愛されている。
でも彼が本当に望んでいるのは、たった一人、愛する人に心から愛されることなのではないだろうか。
彼らの人気で、彼らを取り巻いているものに目が眩んで近づいてくる人もいるだろう。
「愛している」と近づいてくる人の目に、彼の心はしっかり見えているだろうか。
本当の彼を見つめてくれるたった一人は現れるだろうか。
彼は敏感だから気づいてしまわないだろうか。
自分のナニヲみてどうして近づいてきたのかを。
多くの有名人はその本心に気づいてもなお、それでも構わないと寄り添う場合も多い。
それで幸せになれるのであればそれでいい。
でも彼は、より一層寂しさを抱えてしまわないだろうか。
もし、仮面の愛に気づいてしまっても、一度好きになってしまったらもう嫌いになれない性格だから。
それごと愛すのかな。
頭ではわかっていても、時々虚しくなるだろう。
心から自分を愛してほしいと願う日も来てしまうだろう。
彼の芯の部分をしっかり愛してくれる人に出逢ってほしい。
彼の寂しさをしっかりと受け止めて、潤してくれる人と巡り合えますように。
『わたしの音』楽曲解釈
ここからは、『わたしの音』を読み解く。
これはあくまで私の個人的な歌詞解釈。
正解は彼にしかわからない。
それも当時の彼にしかわかり得ない。
一つ二つの愛の言葉
『わたしの音』大森元貴
またほら減るばかりで
今日で一体何個目?
貴方への失望と
私は貴方への愛の言葉が次々と出てくるけれど、
それらは届かずに宙を舞っては散っていく。
言葉にしても受け取ってもらえない。
私は貴方を愛しているのに貴方は愛してくれていないの?
無論この私には
『わたしの音』大森元貴
言葉投げかけることも出来ず
今日も朝まで泣いたよ
私のへの失望
哀しみに明け暮れて、そんな自分を労う言葉さえ出てこない。
どうしたら届くのか。
どうしたら受け入れてもらえるのか。
夜通し貴方のことを考えて泣き尽くして。
そんな自分にも失望している。
それならいっそ諦めてしまえればいいのに。
それでも、どうしようもなく貴方を愛してしまう自分にも失望してしまう。
一つ二つの愛の言葉
『わたしの音』大森元貴
三つ四つの我の歌を
わたしの音にして
歌って
貴方の背中にもたれながら
コメント