大森元貴の楽曲は葛藤と寂しさから。『音楽と人』初登場インタビューを読んで思う

ミセスを知る
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音楽誌『音楽と人』。
今となっては、リリースの度、ライブの度、ミセスの記事が掲載されている。
しかも『音楽と人』のインタビュー記事内容は毎回とても濃厚だ。
すべては、ミセスのことを熟知していて、普段聞けないことまで深く取材してくださっている樋口靖幸さんのおかげ。
『音楽と人』にミセスが初めて登場したのは今回紹介する2015年8月号。
7月8日リリースの3rdミニアルバム『Variety』の頃。
その時から樋口さんが担当してくださっていた。

当時18歳のもっくんに対しても樋口さんは鋭い質問をぶつける。
ここでしか聞けない話。
この頃だから話してくれる心の声。

このインタビューを読むとどうしても泣いてしまうな。
そのくらいミセス、大森元貴のルーツが詰まった内容になっている。

葛藤は葛藤として尊いもの

樋口さんは、同年3月に行った自主企画「ゼンジン未到とプログレス 〜実戦編〜」を観てくださって、取材する機会を待っていてくださった。
そのライブで披露した『CONFLICT』を好きになってくれたみたい。

(「ゼンジン未到とプログレス 〜実戦編〜」のセトリはこちら。)

〈CONFLICT〉には自分の音楽を誰も聞いてくれなかったり評価してもらえなかったところからようやく踏み出せるぞっていう思いがあって、つまり葛藤は葛藤として尊いものとして持ち続けていたいと思って書いた曲です。

「音楽と人」2015年8月号

「葛藤は葛藤として尊いもの」。
18歳の男の子がこんなこと言えるって…(絶句…
葛藤する気持ちを大事にしたいって思える時点で人間卓越してしまってる気がする。
私は大人になった今でもひとつひとつのこと「あーでもないこーでもない」ばっかり繰り返していて嫌になっちゃうことばかりだけれど、そう悩むことが尊いんだよって。泣いちゃうよね。そんなこと言われたら。

武器って言ったらヘンだけど、自信が持てない自分に寄り添うものとして音楽があったと思います

「音楽と人」2015年8月号

もっくんが音楽を始めたのが小6。
勉強ができたわけでもない、スポーツができたわけでもない。
みんなそうだよ。
なのに、当時彼が抱いてた劣等感や承認欲求が強いあまり、ここまで音楽に本気で取り組むことに繋がった。
相当なエネルギーだ。

小6、中1の男子って端から見てもくっだらないことばかりしているのに(…偏見失礼!
でもそのくっだらないことも成長の過程だったりするんだけど、
それがすっかりなく、音楽一筋になった瞬間があったのだろう。

最初に触った楽器はベースだったけど、ドラムもギターもピアノも演奏出来たほうが曲を作るにはいいと思ってやり始めて。

「音楽と人」2015年8月号

あの…ドラムもギターもピアノも演奏できた方がいいって思って、そんなやり始められるものなんですか。
中学生で。
「やりたい」そう思うことはもちろんあるけれども、それを実現するのって物理的にかなり難しい。
これって本当にあたたかいご家族のご支援のおかげに他ならなくて。
もっくんの気持ちにご理解のあるご家族で本当に素晴らしいなと思う。
ちょっと羨ましくもある。
私は好きなこと、興味あることは悉く捨ててきた人生だったから。
子どもの意思をしっかりと尊重してくれる親御さん、本当に素敵だな。

不登校で中学にほとんど通わず、作曲ばかりしていた当時のもっくんを振り返っていて、

——— 一人で音楽やってて面白かったですか?

「……え?」

「音楽と人」2015年8月号

樋口さんの鋭い質問ってすごいな。
これをきっかけにもっくんのもっと心の奥の気持ちを引き出してくれてる。

中学の時は誰かに聴かせても共有されないってわかっていたから。
前回紹介した「ROKIN’ON JAPAN」の2015年3月号でも話していたけれど、
同世代との会話が合わないことも、不登校の要因になったんだろうな。
もっと音楽に時間を費やしたくて、自分のエネルギーを全て音楽に懸けたくて。


大森元貴の俯瞰した考え方は家庭環境から

もっくんは、3兄弟の末っ子ちゃん。
お兄さんは7歳上と14歳上。
親御さんの年齢も必然的に高く、おじいちゃんおばあちゃんが亡くなってしまうのも早かった。
多感な時期に身近な人の死というものに直面したことが、彼にとって大きな影響を与えた。

いつか終わる。
命もそう。
学校生活もそう。

僕の場合は終わりを感じることで始まるんじゃないかなって思ってて。終わりがあるから誰かのことを大切に出来たりすると思うし

「音楽と人」2015年8月号

「もうすぐ僕の我儘が終わる」
『The White Lounge』からずっと心に刺さったままの言葉だ。
あれから、ことあるごとにズキズキする。

あぁ どうか いつか
僕の我儘が終わるまで

『Attitude』大森元貴

ずっと「終わり」を意識しているからこそ、今が尊いと歌えている。
私たちの「限りある数字」。
ミセスの「限りある数字」。
わかってる。わかってるよ。

でも、それを意識するのが中学生の頃っていうのは、一人でしんどかっただろうな。
実際誰にもわかってもらえてなかった。

すごくわかる。
ちょっと構えてしまう話題だから、同級生には話せないし、大人に話すのもちょっと覚悟がいるというか。
実際に大人に話したところで、ちゃんと同じ深さで向き合ってくれることが私はほとんどなかったから。
「そんなこと考えてるの?」って軽くあしらわれたり、「へぇ、そこまで考えてるんだすごいね」で終わっちゃったり。
一度でもそんな経験をすると、もう話したくなくなっちゃうんだよね。
「自分がおかしいのかな」って思っっちゃったりね。

でも、そこでもっくんはその想いを音楽に昇華しようと思えたこと。
この世の中の誰かにはわかってもらえるって信じられたこと。
そこに強さがあると思う。

伝えることを諦めない。
それってすごく難しいことだよね。
心折れちゃう。
誰にも届かないって挫けちゃう。

これは想像でしかないけど、それを支えたのは音楽活動を容認してくれてるご家族が居たからだと思うんだよね。
自分の意思を尊重してくれる家族が居ることはすごく強い。
音楽をやる物理的な土台がないとまず始められないから。
家族からの愛も大いに後押しになったのだと思う。

根底にある寂しさ

中学にあんまり行かなかったことで人間的に欠落してる部分があるのかな。もっと大勢の人の前でライヴをやったら……自分の学生生活を取り戻せるのかなって思ってるんですけど。この寂しい感じとか

「音楽と人」2015年8月号

今も雑誌のインタビューで深く追求された時に、「どうなんだろう」って考え込むことは多いけれど、それは一旦受け止めた上で考えるっていうのかな。
ワンクッションある答え方をしているように感じるんだけれども。
この頃は、その場で思っていることをそのまま言葉に出してくれるピュアさというか、繊細な彼の芯の部分を露呈してくれていて、とても愛おしく思ってしまう。

実際どうなんだろう。
今その頃に描いていた夢が叶って、大勢の前でもっくんの音楽を響かせてる。
多くの共感と感動を与えて、少しは報われた?
でも、寂しさは消えない。
別の寂しさに変わったかもしれない。
もうそういうものだと割り切ってる部分もある。
だって、もっくんだけじゃないから。
人間である限り必ず何か寂しさって抱えているものだから。
ただ、その寂しさを音楽で曝け出してくれることで私は救われている。
自分の弱さを表に出すってなかなか難しいこと。
もっくん自身が身を削って音楽を創ってくれて、聴き手の心が潤う。
皮肉なことだけど、ミセスの音楽はそれで成り立っているものだから。

人と関わることもそうだし、曲を作るにあたってもそうだし、それを持ってステージに立つこともそうだし。とにかく自分一人じゃ自分のことさえ生かせないと思った

「音楽と人」2015年8月号

もっくんがソロではなく、バンドという形態を選んだのは、人との繋がりを感じたいっていうのもあるだろうけれども、彼の寂しさをちゃんと理解して、彼と同じ熱量でメッセージを届けてくれる仲間が欲しかったからじゃないのかなと思う。
やっぱりわかってほしい。
多くの人に伝わってほしいけれど、まずはメンバーに向き合ってもらってしっかり伝わってる実感が欲しかった。
そして、彼のメッセージに共感してくれたら、横並びで同じ熱量で民衆に語り掛けてくれる仲間。
どうしたらしっかり届くのか一緒に考えたかった。
当時は、どこまでメンバーがその彼の本当の望みに応えられたかはわからない。
ずっと寂しさを抱えていたのは事実だから。
それでも彼は、この繋がりを大事に、当時の今を大事に紡いできたのだと思う。

中学に行かなかったのも、きっと同世代に合わせるときに仮面を被るのが疲れてしまったからなんじゃないかな。
メンバー内だったら自然体で居られる。
どうしたって音楽を通してもっくんの内側は観られてしまっているから。
安心して素が出せる。
そんな居場所を築きたかったんじゃないだろうか。

地盤を固めた上で思いきり遊ぶのが大森元貴だ

人との繋がり。
表面だけで繋がる怖さを知っているから、本当に心を向き合わせて人と繋がることの尊さというものを知っている。

意識的なのかはわからないけれど、気の知れた仲間以外のちょっと距離がある人と会話するときのもっくんは、とても丁寧。
目を見てしっかり話を聞いて、しっかり受け止めて。共演者に対してもスタッフに対しても。

逆にメンバーなど気の知れた仲間と居るときは、もうしっかり繋がっているからこそ、安心して遊んでる印象。
音楽もそうだけれど、きっと人との関係もそうなんだ。
しっかりがっちり地盤を固めた上で、思いっきり遊ぶ。楽しむ。
だから、どんなに飛んで跳ねて、転がり合っても崩れない。

一番大事なものをわかっていないとそうはなれないから。
その大事なものを見極めて、それを築くにはどうアプローチするのかをこの27年間常に考えてきたのだと思う。
真似できないよ。本当にあなたはすごい。

でも、真似できないよ。で終わってしまうのはとても勿体ないし、
それが見えたならそこから得て自分に活かすことが、ミセスから受けた愛を還元することだと思うから。
私も少しずつ意識して生きていこうと思うよ。

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